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木更津教会の礼拝と説教

木更津教会で毎週日曜日午前10時半より行われている礼拝の説教を掲載しております。

  題目「絶対善霊の協助と確信」  2011年7月3日   教会長   

訓読 天聖経  地上生活と霊界より)

皆さんは伝道ができない時にも、伝道をしなければなりません。石を海に投げるのと同じです。それで海の水をみな埋めて、山になるまで限りなくするのです。そうすることによって、自分が心情的に育つのです。体は何も変わるものはありませんが、心情が育つのです。
 夜明けに起きて、その町内のために、自分が任された責任地域のために祈って、涙ぐまなければなりません。その道は、心情的でありながら霊界と霊的な因縁を結ぶ道なのです。神様が町内を見下ろせば、全部地獄に行くしかない人間たちであるために、涙を流さざるを得ないのではないかと言って、神様に代わって自分が涙を流すのを自ら感じるのです。神様の心情で涙を流すことができる共鳴力が入るようになれば、霊界が総動員するのです。
 人間として、神様の前に感動的な涙を流さなければなりません。神様が「おお! 有り難いな! 堕落したアダム・エバの後孫は、昔のアダム・エバよりましだな!」と感動して、涙ぐむことができる立場に入らなくては、霊界と通じません。
 「堕落したアダム・エバの後孫として、天に背いた後孫であるお前たちが、こうすることができるか」と言いながら、神様が感動的涙を流してこそ、霊界が協助するのです。そこから霊界が開かれるというのです。それ以下は、絶対に駄目なのです。絶対に駄目です。それが原理です。
 皆さんは霊界に行くのがいいですか。地上の皆さんが霊界に行くという心と、霊界の人たちが地上に再臨するという心のうち、どちらがより切なるものですか。原理的に見るとき、皆さんがより熱烈でなければなりませんか、霊界がより熱烈でなければなりませんか。霊界は天使長世界であり、ここはアダム・エバの世界、息子、娘の世界です。息子、娘がより熱烈であるべきですか、僕がより熱烈であるべきですか。
 皆さんが霊界を協助するようになっていますか、霊界が皆さんを協助するようになっていますか。霊人たちが協助しようと待っていますが、なぜ待つのでしょうか。地上に天国を成すために働く所に協助するでしょうか、皆さんがよく食べて豊かに暮らすのに協助するでしょうか。地上に天国を成すために働く所に協助するのです。

説教骨子】

今日は絶対善霊の協助と確信という題目でみ言葉を分かち合って行きたいと思います。先日埼玉県の行田市にあるさきたま古墳群に行ってきました。教区長を中心としてここで88名の基台を組んで建国のための義人を復帰するための特別祈祷会を行いました。この古墳群には9基の大型古墳の周りに円墳が35基もあります。古墳の数は関東の38000基が大和王権の30000基を上回っているのです。とすれば、大和朝廷が形成された時期に関東には日本王国が存在していた可能性もあると言います。また、ここの稲荷山古墳からは、西暦471年頃の大和朝廷から親衛隊長に送られたとされる国宝の鉄剣が発見されています。そして、この古墳に使われている石は千葉県の鋸山の石を削って持ってきたものであることが分かっています。古墳から出土している副葬品は朝鮮半島南部と係わりのある王族のものでありました。このような点から見て、大母様が埼玉で特別解怨された霊人が権力者・財界人というみ言葉はこのような時代の王族の方々であるかもしれません。絶対善霊となった霊人達はみ言葉の教育を受けた食口です。神様が被造世界を創造する時に天使と共に創造したように、復帰摂理は再創造摂理ですから、霊界の協助なくして完成出来ません。絶対善霊は神様と真のご父母様の摂理を知って協助する食口です。その霊人達はどのような人を協助するでしょうか。神のみ旨を知って熱心に歩む食口に協助するはずです。原理講論の復活論に霊人に対する復活摂理というところがあります。本来地上の肉身生活において、完成されずに他界した霊人たちが復活するためには、地上に再臨して自分たちが地上の肉身生活で完成出来なかった使命部分を協助して完成するようになっています。しかし、絶対善霊はすでに、み言葉を学び祝福を受けた霊人です。協助をする動機も自分たちが復活したいから協助するのではなく、神のみ旨を成し遂げるために協助するのです。
絶対善霊が協助することで今まで成しとげられなかった氏族伝道や地域の伝道も導かれてくるでしょう。私たちが強く霊界を意識して、自信と確信をもって歩まなければなりません。
本日のみ言葉にあるように、「夜明けに起きて、その町内のために、自分が任された責任地域のために祈って、涙ぐまなければなりません。その道は、心情的でありながら霊界と霊的な因縁を結ぶ道なのです。神様が町内を見下ろせば、全部地獄に行くしかない人間たちであるために、涙を流さざるを得ないのではないかと言って、神様に代わって自分が涙を流すのを自ら感じるのです」あるように、神様の代身者としての意識をもって神様の心情に感じて歩めば絶対善霊は私たちに協助するのです。


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