木更津教会の礼拝と説教
木更津教会で毎週日曜日午前10時半より行われている礼拝の説教を掲載しております。
題目「「神の召命」 2012年4月15日 教会長 |
み言骨子「平和神経12番」より抜粋
天の血統を伝授される恩賜である交叉・交体祝福結婚を通して絶対「性」の人生を完成することこそ、この地に平和理想世界を実現する究極的方法であり、手段であることを、はっきりと教えてあげなければならないのが皆様の召命的責任であるのです。
説教中引用 「栄光の王冠」(自叙伝 p.64より)
人を疑えば、苦しみを覚え
人を裁けば、耐えがたくなり
人を憎めば、もはや私に存在価値はない
しかし、信じてはだまされ
今宵、手のひらに頭を埋めて、苦痛と悲しみに震える私
間違っていたのか。そうだ、私は間違っていた
だまされても、信じなければ
裏切られても、赦さなければ
私を憎む者までも、ひたむきに愛そう
涙をふいて、微笑んで迎えるのだ
だますことしか知らない者を
裏切っても、悔悟を知らない者を
おお主よ! 愛の痛みよ!
私のこの苦痛に目を留めてください
疼くこの胸の主のみ手を当ててください
底知れぬ苦悩に心臓が張り裂けそうだ
されど、
裏切った者らを愛したとき
私は勝利を勝ち取った
もし、あなたも私のように愛するなら
あなたに栄光の王冠を授けよう (ご子息"文 孝進様"のBGMによるビデオはこちら)
【説教骨子】
今日は神の召命という題目でみ言を分かち合っていきます。
まず現在がどういう時代かを考えていきます。2000年前、イエス様は「悔い改めよ、天国は近づいた」というみ言を最初に語られました。洗礼ヨハネも同じ言葉を語られました。イエス様が地上に降臨された時代は、世界が大きく変わっていく大転換時でした。今の時代も、当時と同じく、世界が大きく変わっていく大転換期です。真のご父母様は後天開闢時代と表現されました。サタン主権の時代が終わり、神主権の新しい時代が始まる時、天の祝福が我々に届くのか、それとも審判が下るのか、今はその分水嶺にあります。
「神から召命を受ける」とはどういう意味なのでしょうか?召命とは宗教で用いられる言葉ですが、その意味は「神の恵みによって神に呼び出された」ということです。文先生が神から召命されたみ言葉から見ていきましょう。
文先生の神の召命
文先生は16歳のときに神から召命を受けました。イエス様が霊的に現れ、メシヤの責任を果たしてほしいと語られました。文先生の場合歴史上に登場する預言者が神に召命されたのとは違い、生まれながらにしてメシヤという立場でしたが、16歳の時にご自身がメシヤであると自覚されたという意味での召命です。
当時文先生は、人生について深く悩んでいました。13人の兄弟で5人の弟妹が1年の間に相次いで亡くなりました。また、飼っていた牛や馬や豚が突然死にました。そして、同じ年の中学生が自殺した記事を目にして三日三晩泣き続けたと言います。文先生が通っていた教会の教えでは、生と死の問題を解くことが出来ずに、祈るしかなかったと語られています。そして、1935年4月17日復活説の朝、イエス様が霊的に現れ、衝撃の内容を聞くことになります。苦しみの人類の故神は悲しまれている。地上で特別な使命を果たすようイエス様より文先生は懇願されました。文先生は何度も辞退を申し出て、イエス様の服の裾を掴んで泣き続けたと記載されています。その瞬間から文先生の人生は一転し、任された責任の重大さゆえに、不安と恐怖が続く日々を過ごされました。
神様から召命を受けた文先生は「栄光の王冠」という詩を書かれました。その内容から分かるように、文先生でさえも、人類の救世主としての道を選んだのはたやすい選択ではなかったことが分かります。
祝福家庭の皆さんは、どうしてよりによって私を選んだのかと考えたことはないですか。私には能力もなく世の中にはもっと能力や実力のある人がいるのに、私が召命されたのは間違っているのではと考えることもあると思います。実は、文先生御言葉にも、「90歳になった今も、毎日、なぜ神が私を呼ばれたのかを考えます。この無知な人の中から、よりによってなぜ私を選んだのか」ということを考えると語られます。文先生は、神様がご自分を召命された理由については、頑固一徹の性格をもっているためだと語られます。神の道を歩む人物は、執念がなければならない、ということです。
預言者エレミヤの召命
旧約聖書にエレミヤという人が出てきます。エレミヤは、イスラエル王国が南北に分断された後、紀元前7世紀から6世紀にかけてバビロン補因の時代に活躍した預言者です。エレミヤ書1章1節〜4節を読むと、『わたしは、あなたを胎内に形造る前から、あなたを知り、あなたが腹から出る前から、あなたを聖別し、あなたを国々への預言者とさだめていた。』とあります。
エレミヤは地上に誕生する以前から、神によって召命されたことが分かります。エレミヤは神から召命を受けた時、神にこう言いました。『ああ、神、主よ。ご覧のとおり、私はまだ若くて、どう語っていいかわかりません。』」この時、エレミヤは二十歳前後と思われます。彼は、人々に語ることを恐れ、自信がないと告白したのです。
エレミヤは、偶像崇拝をやめて主こそ神であり神を恐れるものでなければならなかったがその罪のゆえに国が滅ぶことを伝えなければなりませんでした。
当時の状況からすると、世間から受け入れられず、エレミヤは多くの迫害を受けました。偽預言者は神によって守られると言っていましたが、彼は真実を語らなければなりませんでした。神の召命は、時としてその時代にとって受け入れがたい内容の場合も多くあります。
召命された人物は、必ずしもリーダーシップを備えた人物というわけでもなく、神が必要とする人は、能力や年齢によらないことが分かります。エレミヤは20歳であり、一人の若者にすぎませんでした。イスラエルの名をもらったのはヤコブでしたが、ハラン苦役に出発するまで、ヤコブはとても弱々しかったそうです。しかし、様々な試練を通過する中でイスラエルの名を拝受しました。また、アブラハムについても同じことが言えます。アブラハムは、偶像を崇拝する家庭で育った人物であり、神様への信仰とは無縁の人物でした。モーセについても同じです。80歳で召命され、結婚もしていました。また、人前で話すのが得意ではなく、性格は血気怒気になりやすい気性の激しい人物でした。つまり、召命に能力、性格は関係ないのです。
イエス様の12弟子についても同じことが言えます。12弟子の一人、ペテロは漁師であり、最初の殉教者ステパノは旧約聖書を一度も読んでおらず、無学でした。しかし、文先生はステパノについて「ステパノは無学だったが、冒険心があった。だから神は彼を召命した」と語られています。
私たちは神から召命されたと言っても、教会に来る前に聖書を熱心に勉強したわけではありません。そのように考えると、一人ひとりが偶然ではなく神の意図をもって召命されたことが分かります。各人にしか担当できない役割、仕事があるためです。
召命された私たちの責任
文先生は、このままでは日本も世界も滅ぶと言われています。家庭では、少子高齢化、核家族が増えており、高齢者の独り暮らしから「無縁社会」という言葉も生まれました。また、結婚をしない若者、青少年の性犯罪の増加など、エゴに溢れている社会と言っても過言ではない状況です。更に中国や北朝鮮の脅威等私たちを取り巻く環境は平和とは程遠い内容があります。
このような状況の本質は、神を否定した人間中心の世界であるためです。神を忘れてエゴイズムが支配して家庭崩壊が進んでいるのです。文先生は神の理想を説き神の願いを説き、血統の重要性と神様の真の愛を相続した祝福家庭の出現を願っています。日本と世界を救うのは祝福家庭しかいません。
預言者エレミヤのように、一人ひとりが立ち上がり、神様の願いを叫んでいくのが召命された我々の責任です。いつの時代も神様は人類を救い出そうとしていますので、召命された自分を信じて勇気をもって今週も歩みましょう。