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木更津教会の礼拝と説教

木更津教会で毎週日曜日午前10時半より行われている礼拝の説教を掲載しております。

 題目 「神様の願いを果たす者」  2011年6月26日    教会長   

訓読 (神様の摂理からみた南北統一より)

韓国の国民は今、誰もが統一を願っているということをよく知っています。南北が分かれるようになった原因を考えてみるとき、六・二五事変がその原因だと思うかもしれませんが、根本問題に入っていって原因を調べてみれば、今日、世界が一つになることのできない歴史的路程を経てきたからであるということを知るようになります。
南北が分かれたのは、解放直後にキリスト教と先生が一つになることができなかったからです。キリスト教と国家が先生に反対して一つになれなかったからなのです。この南北が分かれたのは何のためなのかといえば、地上のキリスト教と国が責任を果たすことができなかったからです。
大韓民国が南北に分かれて三十八度線が生じたのは、解放以後、神様のみ旨を奉じることができなかったことに対する神様の怨恨の応報です。 復帰歴史を中心として見るとき、既成教会が解放直後にみ旨を奉じて立ち上がったこの若者の後ろに従っていたなら、韓国はこのようにかわいそうなことにはならなかったのです。そうしていたなら三十八度線がふさがれなかったのです。そして、ソ連はとっくになくなったはずです。
一九五一年四月、トルーマン大統領がマッカーサー将軍を解任してから、韓国は押され始めました。もしその時、マッカーサー将軍の言葉どおりにしていたならば、その年の九月に韓国は蘇満国境に行って戦ったはずです。そのようになれば、日本が受ける祝福を韓国が全部受けるのです。じっと座っていても生きられる国になるということです。ところが、紆余曲折の末に今のように複雑な世界になったのです。  
今後、世界情勢は我々の動きと対比していきます。世界情勢がどんなに大きく変わっても、我々の動きと対比していきます。皆さんはそこに対する具体的な内容を知りませんが、復帰歴史はそのようになっていきます。

説教骨子】

先週は清平を中心とした聖地巡礼ツアーに参加しました。11年ぶりでしたが、統一展望台と臨津閣を見学してきました。臨津閣(イムジンカク)は韓半島の統一を祈願するために立てられた観光地です。1972年に建設が進み、軍事境界線から南に7km離れた所に位置しています。私たち統一教会の大きな使命が南北統一であり、この場所に来ることはその使命の自覚を更に高めることになりました。統一展望台は漢江(ハンガン)と臨津江(イムジンガン)が合流する地点の韓国側に建てられたもので、川一本をはさんで北朝鮮の開豊(ケプン)郡の農村地帯を見ることができます。双眼鏡で見ると、集合住宅用らしい建物、農業用の倉庫のようなものが見えますが、人の姿は見えずゴーストタウンのようでした。 そこは韓国の観光客が北朝鮮を見るときに意識して作られた場所であると言います。
また、初めて統一展望台の中の映像室で衝撃的な映像を見ました。「わたしの娘を100ウォンで売ります」という北朝鮮の作家の詩を基にした映像でした。
かつて、朝鮮労働党のお抱え作家であった張真晟(チャン・ジンソン)氏が「最も貧しい国に、最も富裕な王がいる」現実に目覚めたとき2004年に脱北を決意しました。彼は豆満江を渡るとき、彼を突き動かした思いはたったひとつ、この国の現実を、必ず世界に暴露するという思いだったというのです。
そして、2008年に「わたしの娘を100ウォンで売ります」という詩を本として出版しました。その詩は次のような詩です。

   女は憔悴していたわたしの娘100ウォンで売ります
   書かれた紙を 首にかけおさな児を わきに市場にたつ その女

   女は 唖者であった売られる 娘児と売る 女を ながめては
   人々の 投げかける 呪詛に地べた みつめる その女

   女は 涙も 枯れていた母が 死病に かかっていると
   わめき 泣き叫ぶ 娘児はその母の裾 にぎりしめ
   女は ただ くちびる震わせるばかり

   女は 感謝も 知らなかったあんたの 娘ではなく
   母性愛を 買うとひとりの軍人 100ウォン差し出すに
   その金 もって どこへやら駆け出した その女

   女は母であった娘売った 100ウォンで
   小麦粉パン かかえ慌て 駆け戻り
   別離れ行く 娘児の口へ 押し入れる

   ――赦しておくれ!慟哭する その女


この内容は、母親が癌に侵されていて余命が短くなり、食べることもままならない状況の中で、娘を育てる事が出来なくなり、残された娘も餓死する可能性が高いと思った母親の一つの苦しい選択でした。それは、娘を売って少しでも金を得ようとしたのではなく、娘を育てる事の出来る人に引き取って貰らおうという、愛情故の悲しい選択だったのです。母親は受け取ったお金を手に店に駆け出し、そのお金でパンを買い、娘さんに与え最後の言葉を残しました。
 これが北朝鮮の現実です。文先生のみ言葉では、南北分断お悲劇は単なる6・25動乱によってもたらされたのではないと。外的にはそのような戦争によるものですが、内的には、準備されたキリスト教と民主主義国家のリーダーの失敗によって世界は複雑になったというのです。キリスト教が再臨主と一つになっていれば共産主義国家はなくなり、再臨主によって韓国が大きな祝福を受ける経済大国となっていたのです、しかし、そのようにならなかった結果、逆にサタン側の国家として韓国を苦しめた日本が経済的な福を受けるようになったのです。
 神様の苦悩は3つあります。一つは宗教が無力化したことであり、二つ目は青少年の倫理的退廃であり、三つ目は無神論的共産主義の拡大です。神様はそのような苦悩を抱えているのです。再臨主はこれらの問題を解決するために神様の手足となって統一運動を展開してきました。そして、私たち祝福を受けた者は再臨主と共に神様の手足となって神様の願いを果たす者とならなければならないのです。


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